第164回芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』を読んだ。
まず初めから最後まで終始「読みにくい」と感じた。この小説は初めから終わりまで女子高校生の視点、価値観、環境、思考によって描写されている体裁なのと、"推し"を自分の背骨として取り込むような経験のない自分とあまりにもかけ離れているということなのかもしれない。その再現度の高さやリアリティの精度は僕には判断がつかない。
あまりにも離れているがゆえに共感や追体験をすることがついぞできなかった*1のだが、心に残る表現はあった。感情や精神では泣きたくないと思っていても涙がこぼれそうになるシーン、生活のために風呂に入る・爪を切ると言ったシーンで主人公が発する「肉体に負けている感じがする」という表現である。
身体と精神の相互作用や不可分性は否定しようもないし統合的な理解やアプローチが暗に明に求められる。それでも、あまり現代的ではなかろうと思いつつ、精神を上位に置くプラトンやデカルト的な理想への憧憬はある。自身の肉体・身体を信じきれない者にとって残る最後の切り札がこのような思想なのかもしれないということを、ふと想像しながら読んだ。
*1:純文学と思って読んでいるのでそういう期待はそもそもしてはいない