かなり良かった。共感性のない主人公が"普通"を模索するためにとった策は「理想のコンビニ店員を演じる」というもので、コメディともとれる軽妙な読み心地で通俗小説的でありつつも、疎外論を通じた現代批判・問題提起とも取れる点が評価されたのだろうと思った。
職場において与えられた役割を徹底させられることで人間性を喪失してしまうのが労働疎外であるが、本作の主人公においては役割を与えられ全うすることで生き生きと充実した人生を送るという逆転が起きていてシニカル。
これを喜劇と見ることもできるし、日常で起きていることへの風刺と見ることもできる。労働の場でなくとも、社会集団の中で周囲から期待される役割を演じることで自己実現・満足を感じるような場面というのはありふれており、そういった人たちとコンビニ人間との違いは、その事実に自覚的であるかどうかだけにすぎないからだ。
ちょうど最近自分が書いた記事 人間をリソースと呼ぶことの何が問題なのか - valid,invalid にて、人間疎外のいち表象が"リソース"という呼称なのかもしれないと書いた。
この記事に対して「むしろ自分はリソースとして扱って欲しい。代えがきくから」といったコメントがついたのは非常に興味深かった。このコメント主がコンビニ人間のような存在であると断じたいわけではなく、むしろ自身の人間性を守るために職場での役割(リソース)と人間性をあえて分離させておく自己防衛の手段に見えたのだ。
自分もそうした防衛と無関係ではない。