マネジメントスタイルは対象となるメンバーだけでなく、時々の状況や幾つかの要因によって変えるべきものだという話です。
本記事は『HIGH OUTPUT MANAGEMENT』を読んだうえで自分の観測範囲と経験に照らし合わせた感想なので、詳細が気になる方は同書の第12章を読むことをおすすめします。
マネジメントスタイルとは
まず、ここでいうマネジメントスタイルとは何か。
マネジャーが部下をマネージするやり方、というと同語反復が過ぎるので、イメージしやすいように極端な例を2つ出してみます。
マイクロマネジメントとは
マイクロマネジメントとは、マネジャーが部下や従業員の業務を緊密に観察する and/or コントロールしようとするマネジメントスタイルである。
マイクロマネジメントは職場における自由の欠如を示すことから、一般的にはネガティブな含みを持つと考えられている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Micromanagement より (訳:筆者)
詳細な批判は以下の記事でも詳しいです。
https://www.thehrdigest.com/real-cost-micromanagement/
たしかにマイクロマネジメントは以下のように言われ、忌避されることが多いです。
- 階層秩序体系が決まりきっていたような前時代の遺物(=現代ほど複雑で変化が早い状況下では使うべきでない)
- 自由度の低い指揮統制型(=自己組織化されていない組織)の組織が使うもの
自由と裁量を与えるスタイル
一方、『NETFLIXの最強人事戦略~自由と責任の文化を築く~』や『WORK RULES!』に記されるような、メンバーの自主性を重んじて自由と裁量を積極的に与えるマネジメントスタイルがあります。
的確に言い表す一語を寡聞にして知らないのですが、"micromanagement antonym"でググってみるとマイクロマネジメントの対義語としてはマクロマネジメント、ミッションコマンド等があるようです。(あまり聞かないですが)
このスタイルないしはその背景にある文化がいかにして華々しい成果を生んだかという事例は度々取り上げられ、マイクロマネジメントとは打って変わって比較的ポジティブに捉えられる風向きがあります。
また、これは私の観測範囲だけかもしれませんが、マイクロマネジメントやそれに近しいスタイルへの反動からか殊更に称揚されていると感じる場面もあります。
どちらが良いか?
現実的には常にどちらに当てはまるということでもなく、グレーゾーンが広く存在しています。
『HIGH OUTPUT MANAGEMENT』によれば
(マネジャーは) マネジメント・スタイルの良し悪しをではなく、それが効果的か効果的でないかの判断を学ばなければならない。
マイクロかマクロかという二極で語るべきではない、どちらが良いか?という問い自体がナンセンス、ということです。
なぜならマネジャーの本質的な職務はマネジメントスタイルを逐一取り上げて良し悪しを判断することではなく、成果を挙げるためにはどのスタイルが効果的かを考えることだから、と。
また、同書の主張とは逸れますが別の観点としてチームや会社としての方向性を踏まえて選択されるべきもの、という考えもあると思います。自由と裁量が最大の成果を生み出すチームもあれば、"不確実性"の少ない仕事を秩序立てて計画的にこなしていくことが重視される組織もビジネスも存在するということです。
このように「不確実性」の削減が少ししかできない「具体的で細かい指示」を必要とする組織を「マイクロマネジメント型」の組織といい、「不確実性」の削減をより多く行うことができる「抽象的で自由度のある指示」でも動ける組織を「自己組織化された」組織といったりします。
『エンジニアリング組織論への招待』より
マイクロマネジメントを忌避した失敗例
「状況に応じて都度判断するべきだ」などと言うとあまりにも当然自明のことすぎてピンとこないと思うし、現に私もそう思ったので、"適切に判断できなかった"例を『HIGH OUTPUT MANAGEMENT』から引用します。
いつも傑出した仕事をしていた私の同僚のひとりがある若手を雇い、古い仕事の一部を任せて自分自身は新しい仕事にかかることにした。その部下は仕事がうまくできなかった。その同僚の考え方はこうだった。「彼は自ら間違いを経験しなければならない。そうして次第次第に覚えてゆくものなのだ」と。この場合の問題は、部下の授業料を顧客に払わせていることにある。これは絶対に正しくない。部下に物事を教える責任は必ず上司が負わなければならないし、組織の内外を問わず、顧客が支払うべきものではない。
こうしたいわゆる誤った放任について考えてみると過去に似たようなケースを経験ないしは目撃したという人は多いかもしれません。
開けたマネジャーはこういううるさいやり方 (※筆者注: マイクロマネジメントのこと) は使うべきでないように考える。結果として、手遅れになってどうにもしようがなくなるまでそれを取り上げようとしないことが多い。
マネジャーのありがちなアンチパターンとして、自らの不安のためにマイクロマネジメントしすぎる、もしくはマイクロマネジメントを嫌って放任しすぎるというのがあります。
私の場合は後者で、Engineering Manager になった直後には自分のやるべきことは「以前と変わらず同僚として接する(全てをそのまま任せる)こと」だと考えました。また、それを旧知のメンバーだけでなく新しく入社したメンバーにも適用しようとし、思いとどまってやめました。信頼や尊敬という言葉を盾にしつつ、何もマネージしない(パフォーマンス最大化のためにできることをやらない)というのは効果的な振る舞いではないと思い直しました。
では、何によって判断すればよいか
基本的変動要因はタスク習熟度
効果的なマネジメントスタイルを決定する基本的変動要因は従業員のタスク習熟度(Task Relevant Maturity: TRMと略している)であると『HIGH OUTPUT MANAGEMENT』では語られます。これには非常に納得感があります。
- タスク習熟度 低:タスク志向。何をいつどうやるかを明示する(マイクロマネジメント寄り)
- タスク習熟度 中:個人志向。双方向のコミュニケーションを行い、お互いの判断力を重視する
- タスク習熟度 高:マネジャーの関与を最小限にする。目標を設定し、モニターする
単純にスキルと言わないのはここでいう"タスク"が特定の作業環境における特定の作業を指すためです。
たとえば、高いスキルを有するソフトウェアエンジニアでも入社or異動した直後から歴史あるアプリケーションのコアロジックをごりごり変更できるわけではない、みたいなケースを考えます*1。このときのタスク習熟度は「低」なので、手取り足取りの作業指示がオンボーディングとしては効果的となります。やっていることはマイクロマネジメントにも近しいものの、ここでは否定的には捉えられず、むしろ必要な情報が提示されることで短期的にも長期的にも成果を上げることに寄与していると考えられます。
タスク習熟度は予測が難しい
これまた観測したことがある方は多いと思いますが、高いパフォーマンスを発揮する社員にまったく異なるタスクをアサインしたら急激にパフォーマンスが低下したとか、その逆のパターンがあります。人が複雑な業務を行うとき、当人のタスク習熟度(+後述するその他の要因)によってパフォーマンスは容易に変動してしまいます。
だからこそ低い方への変動をなるべく抑える活動が求められるというわけです。
タスク習熟度以外の変動要因
実際にはタスク習熟度以外にも要因が存在します。
モチベーションとか体調とかチームメンバーの様子とかプライベートの悩みなど様々で、挙げればきりがないかもしれません。
これらに応じて適切なマネジメントスタイル*2は刻々と変化する、ゆえにどんなときでも誰に対しても適切なスタイルは存在しない。
これがマネジメントの難しさの一つだと言われます。
スタイル一貫性への期待
どんなときでも誰に対しても適切なスタイルは存在しないから臨機応変にやりますと決意したとして、「あるときは自由と裁量を与え、あるときは事細かに指示する」ようなマネジャーをどう思うだろうか?
上述したようなスタイルの可変性が十分に理解されていなければ、「普段は裁量を大きく任せると言っておきながらマイクロマネジメント寄りのことしてる」と反発されるもやむなく、一貫性に欠け、信頼を置けない人のように思われるかもしれない。
現実には一貫性の欠落と認識させないほどにスタイルをうまく使い分けるマネジャーもいますが、それこそ"スキル"なので磨かなければ得られないものだと思います。
(余談ですが「マネジャーの9割は実際以上に、部下たちが考えている以上に自分自身のことをコミュニケーションの良い人、権限委譲をする人だとみなしがち」というデータがあるそうです。この残念かつ一般的な食い違いもまた、スタイルの可変性の理解不足に一寄与してしまっているのでは。)
福沢諭吉の哲学
脱線です。
多面的で変幻自在な、しかし安易なプラグマティズムとも異なる思考様式は福沢諭吉の哲学に見られるものでもあります。
一見して一貫していないように見えても軸はブレずに変化に対応できるスタイルは常々実践したいと思っておりまして、そのあたりの話は以前に EMFM という podcast に出演させていただいたときに語らせてもらいました。
今すぐやれること
以下を伝えるところから。
- 自分のマネジメントスタイルはタスク習熟度やその他要因によって流動的に変わるものである
- 取りうるスタイルには"あなた"が嫌うかもしれないマネジメントスタイルもあるだろうが、それを行うには理由がある
- 納得いかない場合はマネジャーの説明不足なのでフィードバックがほしい
相互理解、というとこれまた至極当然に聞こえてしまうのですが、先に書いたようにマネジャーは「自分はよくコミュニケーションしている」と思いがち問題がある*3のでやりすぎぐらいが丁度良いのだと思います。マネージャはオーバーコミュニケーション気味で。
究極的には上記を伝えずとも相手に変化を悟られないほどあまりにも鮮やかで変幻自在なスタイルで成果を挙げさせるような凄腕になりたいところですが、そうしたマネジメントについてまだまだ自分のタスク習熟度が低いのでmanageされたいところ。
Engineering Manager Advent Calendar 2018 7日目の記事でした。