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関心を持てる事柄について

エンジニアが読む『UXリサーチの活かし方 ユーザーの声を意思決定につなげるためにできること』

瀧本はろかさん、『UXリサーチの活かし方 ユーザーの声を意思決定につなげるためにできること』の出版おめでとうございます。プロダクト開発に関心あるエンジニアとして、そしてスマートバンクにおける同僚として本書を拝読したので書評を書いてみます。

"エンジニアが読む"とは?

僕自身の本職がソフトウェアエンジニアであり読者の大部分も同様であろうこと、「エンジニアがUXリサーチの本を読んで学ぶところがあるのだろうか?」の疑問についてまず一言。本書を読み終えた者としてあると答える。

実を言うと、これまでUXリサーチに関する書籍をほとんど読んでこなかったのでどういう目線で読むべきか戸惑っていた(専門書は目的をもって読書したいタイプなので)。だが、本書のまえがきにおいて対象読者としてユーザー理解を事業や組織に活かしたい人が挙げられており、「おっ、自分のことでは」と思えるように。「なるほど、本書は事業会社で働くいちエンジニアとしてのスタンスをそのままに読み進めれば良いのだな」と得心できた。

そしてその通り読み進めてみたうえで琴線に触れたことをそのまま記していく。もしかすると本書の本旨から脱線するポイントがあるかもしれないが、それも含めて「エンジニアが読む」とこう見えた、ということで了承いただきたい。

目的と手段: リサーチをすることそのものを目的にしない

本書はUXリサーチの本でありつつもその有用性/重要性を過度に強調するのではなく、UXリサーチはユーザーの声が事業上の意思決定に繋がっている状態を達成する一手段であると説く点が極めて印象的だった。このような冷静さ・バランス感覚を持つ知的態度を提示されると、自分にとっては書籍の主張に対する信頼が増す。

例えば、冒頭にてこの本を読んで得られる効用として以下が挙げられている。

  • 事業課題をとらえ、組織でリサーチャーがどう立ち回れば良いかがわかる
  • 事業活動に活かすための引き出しが増える

いずれも上位方針と接続して事業を成功させることを主眼に置いており、手段と目的の逆転────"リサーチのためのリサーチ"で終わってしまうことを避けるよう警告している。特に本書で印象に残ったフレーズは以下である。

リサーチャー個人を主語にしないことで、リサーチャーとしてやるべきことが見えてくる

物事を推進するにあたり「主語を変える」アプローチは思考のリフレーミングにとても有効であり、リサーチを別の活動に、リサーチャーを別の職種に置き換えても同じことがいえる。

なぜ〇〇をやるのか?の問い

たとえば機能の改善や負債の解消など、エンジニアとして推進したい施策があったとして、その施策の重要性/緊急性の理解が自分と意思決定者で大きく異なるとする。当然「なぜ〇〇をやるのか?」と尋ねられる。

このようなシーンでどう振る舞うべきかを考える時、自分の主観ではなく客観をもって説明責任を果たす必要が生まれるわけだが、本書では類似する問いかけ「なぜリサーチをするのか?」を別の質問に置き換えて掘り下げる試みがなされている。

  • 「なぜリサーチをするのか?」から考えて...
    • 仮にリサーチがうまくいったとして、プロダクトやチームをどんな状態にしたいのか?
    • その状態に対して、リサーチは適切な手法なのか?
  • 「なぜ今リサーチをするのか?」から考えて...
    • リサーチが適切だとしたら、今すぐやった方が良いのか?
    • 今やらなかったとしたら、どんな悪影響が出るのか?

これらの問いについて即答できるレベルまで検討を重ねたうえで繰り出される提案であれば、相手の思考を前に進めやすい。これは id:konifar"提案"のレベルを上げる - Konifar's ZATSU で書いていた"意思決定させ力"に通ずる。

提案のレベルが高くなってくると、もはや意思決定を促しているという状態になる。"意思決定させ力"と言ってもいいかもしれない。相談された人や意思決定者が「いいと思う」「じゃあそれで」みたいな一言で終わるような感じになる。

このように、本書ではプロダクト開発に携わる人を中心ターゲットに据えつつも、チームや組織で働く人すべてを射程としうるような手法が提示されている。それにも関わらずUXリサーチの専門書としての体裁と深さが感じられるのが本書の興味深い点である。

よくある過ち: 定量化の罠

意思決定者へ情報を提供するにあたり「定量化してほしい」と言われることがある。とあるバグを修正すればお問い合わせが10件/月減ります、CIを1分高速化すれば費用がN円/月減ります...といった具合に実現価値を明瞭に説明できるものであれば良いが、すべての施策がそうとは限らない。

定量化が難しいシーンにおいて説明材料を定量的に揃えようとするあまり、定量への傾倒が時には定性の良さを打ち消したり、手段が目的に取って代わられることがあると本書は言う。

「リサーチの価値を定量化してほしいと言われた時によくある間違い」として「リサーチ本数など、定量的にできるところをつい探してしまう」ことを挙げ、これはリサーチ完了後にどういう状態になっていたいかが抜け落ちてしまっている状態、つまり手段と目的がすり替わってしまっているだと指摘している。

これはエンジニアリング領域でも馴染み深いグッドハートの法則、計測結果が目標になると、その計測自体が役に立たなくなる現象である。この課題にUXリサーチがどう立ち向かうのかについても本書では語られていて面白かった。


ややオフトピックではあるが、つい最近聞いた37signalsのpodcastでは顧客調査の定量化がもたらすものについて以下のように語られていた。

You can’t just get like, oh, well the customer satisfaction was 7.253 this quarter. That is a 11.2% increase over last quarter. What the fuck does that even mean? How does that connect to any human in any way that anyone would respond to? But this is the problem of incentives sometimes, right? You’re incentivized like quarter after quarter, you have to show some growth on some KPIs, some metrics.

「今四半期の顧客満足度は7.253で前四半期より11.2%増加しています」が何を意味していて、1人の人間にどう関係し、誰がどう反応できるのかは全くわからない。こういう事態を引き起こすのはインセンティブの問題。

37signalsはそのような無味乾燥な定量調査の代わりに人間の物語 (human narratives) を掘り下げるため定性質問を行っており、その結果を https://basecamp.com/customers として公開している。ここにこそ、顧客が自分たちの問題についてどう考えているか、プロダクトがどのように受け入れられているかについてを理解するための栄養 (nutrients) がある、と言う。

Jason FriedやDHHといったビジネス、テクノロジーの先鋭たちもまたUXリサーチの重要性を踏まえて自らの領域に活かしているのは極めて興味深い。

不確実性を低減するためのUXリサーチ

ここまでも「なぜUXリサーチをするのか」という根源的な問いから始めることの重要性を引用してきたが、ソフトウェア開発の観点において個人的に気に入っているのがUXリサーチは不確実性を低減するという事実である。

不確実性という言葉は文脈から切り離されるとだいぶ扱いにくい言葉になってきたため、ここでは『エンジニアリング組織論への招待』における"目的不確実性"のことを指すとする。何を作るかに関する不確実性で、「やってみないことには、何を作っていけばマーケットに受け入れられるのかわからない」というマーケット不安に依拠した不確実性のことである。

現代のソフトウェアビジネスにおいて「作れば100%受け入れられる」などというアイデアはほとんどなく、やってみないとわからない、けれどやるにはリソース投下が必要となるというトレードオフ────目的不確実性に由来するジレンマが常に存在している。そのような状況で事業としてソフトウェアを開発するにあたって最も避けたいことの一つは「作ったけど誰にも使われない」ことである。

このようなリスクをゼロにはできないが、UXリサーチを通じて低減することができると本書では述べられている。具体的な手法や実行のタイミング、実践者のインタビュー・ケーススタディ等は本書にふんだんに記されているので、ぜひ読んで学んでみてほしい。

エンジニアとUXリサーチ

「何を作るか」だけでなく「なぜ作るか」を知りたいという要求はエンジニアにとってごく自然なものであるが、これは決して開発のモチベーション維持といった情緒面の関心だけではない。解決したい課題領域(ドメイン)を理解したうえでより適切なソリューションを考案するという実際上の利点を得るために必要なことである。

エンジニアが「なぜ作るか」をインプットする手段としてのUXリサーチについても本書では語られている。とりわけユーザーインタビューへの同席、UXリサーチデータベースの活用(過去事例の共有)といった具体的なケースは取り入れたいと感じる読者も多いのではなかろうか。実際、エンジニアがユーザーインタビューや営業動向を通じて顧客課題の理解を深める事例は自分の周りでも多く聞かれるようになってきている。

「いま目の前にある、つくっているソフトウェアや機能は使われるのだろうか」を考えたことがある、あるいはつくったけど使われずにクローズしたサービスに携わった経験がある... 本書はそのようなエンジニアには一層強く刺さる内容となっている。

おわりに

以上、本記事では2024年11月11日に翔泳社より出版された『UXリサーチの活かし方 ユーザーの声を意思決定につなげるためにできること』の感想と書評を書いてみました。自身の専門領域からやや離れる分野ではありつつも、事業会社のソフトウェアエンジニアとして楽しめる内容であり、同僚や同職種の知人へ推薦できる本でした。

ユーザー理解を事業や組織、自身の業務領域に活かしたいと考えるすべて人に本書が届くことを期待しています。