『教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」』(内田良)を読んだ。
善意やら共感能力やら自意識やら何やかやが暴走して行われるような「善きこと」は得てして本来意図した功利とは異なるマイナスの副作用を生みがちで、その副作用に無頓着であるがゆえに誤った選択になりがちだよね、という話だと解釈した。
この本ではその副作用のリスクをデータとともに提示する。
教育的効果を狙って行う"教育行為"のリスクに気づいているか。本当にリスクテイクする価値があるのか。たとえ巨大なリターンがあったとしても、そのリスクは決して負うべきでない種類のものではないか。
数々のアンチパターンを紹介するとともに、教育者(主に教師や保護者)に対してそう問いかける。
よいと思った点
各課題に対してエビデンスベースドなアプローチをしている
教育は誰しも経験しているがゆえに個人的な経験に基づいた見解を各々が持っている。また、自身の理念とアイデンティティに関わるがゆえに感情的になりやすい。それを踏まえた上でリスクを数値化し、議論の土台を作ることから始めているのがよい。
善悪二元論に逃げていない
数値化した結果、教師/モンスターペアレント/不良が悪い、というような悪者をあぶり出すような議論をしていないのがよい。誰もが善いと思ってやっていることが負の結果を招くことは往々にしてある。漫画か何かで読んだ「不幸は善良な市民たちの間でさえ生み出される」みたいなセリフを思い出した。
既存の概念をうまく織り込んでいる
Stella Youngの感動ポルノやIvan Illichの学校化社会といった既存の議論や概念をうまく織り込むことで、提示する病の概念に肉付けができていてよい。
よくないと思った点
感情先行
エビデンスベースドの主張はすべて同意できるが、形容詞が多く著者の感情と主張がやや先行していると感じた。 「リスクと向き合え!」と声を上げるのは必要だが、ここまで熱くなってしまって本当に声を届けたい層にリーチできるのか?と思ってしまった。逆に、それぐらい声を大にしないと届かないのかもしれないが。
タイトル
出版社が決めているのかどうかわからないけども、せっかくの著者の主張に対して相応しくないと思った。家族という病、他者という病、資本主義という病、父という病、母という病…等々、"◯◯という病"は定番のタイトルになった結果、陳腐な響きを帯びたと個人的に思っているので。
結論
教育に関心が多少なりともある人は読んでみてほしい。これまで読んできた本とは異なるアプローチや考えさせられるエピソードがあると思う。 また、教育に関心は無くとも子を持つ人はこの本を読んでどういう感想を持つのか、気になる。