ティム・バートンの『Big Fish』、藤田和日郎の『月光条例』、デミアン・チャゼルの『La La Land』、ネテロの正拳突き…皆それぞれの出自に"恩返し"をしているよなァとふと思ってから、最近つとに感謝や尊敬について考えている pic.twitter.com/wK4F9FqOfZ
— 広島の粗大ゴミ (@ohbarye) 2017年2月27日
と書いたとおり、この映画愛あふれる映画はそういうものだと思った。
【感想】『ララランド』がオマージュしたミュージカル映画とのシーン比較 - アートコンサルタント/ディズニーやミュージカル、ビジネス情報サイト で紹介されている通り多くの映画へのオマージュが散りばめられており、また、取りようによっては内輪なだけのハリウッドジョークも多かった。ゆえに「ハリウッドに媚びてる」という批判もさもありなん。また、ジャズを語る白人というのも「白人偏重("Oscar is so white")」の延長という感じで叩かれても致し方ないという感じ。
ただ、それはハリウッドやジャズを強く意識しているからこそ生まれてくる批判であって、自分のように両者いずれにも強い思い入れのない人間から見たときにはそうしたくすみよりも全体にあふれる映画愛の輝きの方が眩しく映る。
以下、ネタバレを含んだ感想。
感想
「至高のミュージカルエンターテインメント映画」という前評判がものすごかったので、『きっと、うまくいく』のようなマサラ感を想像していたのだがそうではなかった。ミュージカルシーンの高揚感で言えばインド映画の方が数段上。
夢を追う人間を描く以上「才能」というテーマをいかに描くかというのは避けようがないのだが、そのあたりの描写が薄かった。なぜミアやセブが成功できたのかの裏付けに乏しい。
と、文句から始まったものの、全体としてはかなり良かった。デミアン・チャゼルの映画とジャズへの思い入れ両方をブチ込んだ結果、映画愛の方がアクが強く浮き出てしまった感じ。映画の中で映画について言及するのも嫌味な感じがしなかった。
映画館で観るべき映画の一つだと思ったし、鑑賞後もしばらく余韻に浸りたくなる作品だった。Apple Music でサントラが聞けるので毎日聞いている。
特に良かったシーン
Messengers のライブシーン
キースがセブを引き入れたバンドのライブシーンで、綺麗なピアノとジョン・レジェンド(歌手として呼びたい!)のソウルフルな歌声で始まった曲「Start a Fire」が、セブがやりたかった「批判なんてクソ食らえ、という本物のジャズ」どころか大衆向けのポップソングだったというギャグ。
ここは笑いどころだった。スタジオでキースが電子ドラムを急に流し始めてセブが戸惑うシーンがあったがあれは前フリで、その後に完全にバンドの原形を失った感じになっているのがオチという高度なギャグ。
ライブを見て顔をしかめるミアに対しても「ライブに行くまで一度も曲を聞いたことなかったんかーい」と突っ込めたり、ダンサーが出てきて二度びっくりとおいしいところが多い。
また、「Start a Fire」が本当に良い曲なのもウケる。コーラスやホーンも厚いしダンサーが出て来てドリカムみたいだった。ジャズに明け暮れた奴らがそのテクニックでバックバンドやってる、っていうのもスタジオ・ミュージシャンぽいし、あの路線は本当に売れると思う。
夢を変えて大人になった
ミアが実家に帰って、セブがそれをオーディションの吉報とともに追いかけてきたところ。
ミアを子供だと責めるセブに対して言い返した「あなたは夢を変えて大人になった」というのがグッと来た。
夢を諦めたわけじゃない…今も頑張っている…けど、あの頃とは違う夢を選択してしまったんだよな…無意識に…妥協して… という暗い刺さり方をした。
“Where are we?”
ミアがセブとの「2人の関係」や「これから」について “Where are we?” と二度問いかけるシーン。
(おそらく意図的に)複数の年代がごちゃまぜになっていること、それが夢の世界のような雰囲気を醸成していることは序盤で気付くのだが、それについてメタ的に言及するようなこの台詞にハッとした。
ここでセブが「実は全部夢だったんだよ」と答えていても「そうか…」と思ってしまいそうな浮遊感があったのだが、しかし全ては現実、その後に来るラストシーンで非情にも二人の夢が現実になった頃には二人がいた時間が夢のようになってしまったという逆転をまた一段と辛いものに仕立て上げていた。
そう、あのシーンで「夢を追うなら全てを捨てて没頭しなければならない」とセブが言っていたが、本当にその通りになってしまった。
最後のジャズクラブでの一連
5年後…ミアが女優として成功を収めている頃、いきなり隣にいる男に「てめーは誰だよ?」と突っ込みたくなりつつ、「え、まさか二人は終わった…?」と現実を突きつけられたまま、ふとミアと夫が入ったジャズクラブ。
「あ、これ絶対セブの店だ」って観客は誰だってわかる。
問題は、それをどんな決定的な描写がミアに気づかせるんだろう?と思っていたらクラブの看板に “Seb’s”。もうこれで感涙。(映画を観た人ならわかるが、"Seb’s" はミアのアイデア。かつてセブに却下されたのに採用されてた)
そこからセブがミアに気付き、本来なら弾くはずでなかった曲を演奏し始め、別の世界線へ…
いや、書いていて思い出したがやっぱり良い映画だったな。もう一度観たい。