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関心を持てる事柄について

手拍子とグルーヴ

グルーヴ=?



いつどこで聞いたか完全に忘れたけれども、「手っ取り早くグルーヴを感じたり作り出したいのなら、グルーヴのある演奏に合わせて手拍子をすることだ」というアイデアが離れないでいる。

ここから「グルーヴしたけりゃその時はこっちから手拍子するわ」、グルーヴに対する-良く言えば-積極性または-悪く言えば-強制性の否定が個人の音楽鑑賞・体験スタイルが形作られた。

このスタイルを軸に、ミュージシャンのライブで煽られる手拍子には長らく頑として拒否する姿勢を保ってきた。というより、グルーヴを表に押し出さない演奏またはグルーヴの無い演奏を前に手拍子"してあげる"ことの虚しさを払拭できずにいた。

手拍子は一体感を産み、これはグルーヴの有無に依らないと思う。ともすればその一体感が音楽的な体験(ここで言うグルーヴにより生み出されるもの)なのか、当事者間のリレーション(ミュージシャンとリスナーの間、またはリスナー同士)へのアウェアネスなのか、その境界は曖昧になる。この境界線がぼやけていることこそ、ショウビジネスとの親和性の高さに紐付いているのは別の話だが、時偶この事実によって音楽的な体験が矮小化されているのではないかと思うこともある。矮小化とは言わないまでも、比率やプライオリティを下げられているように感じる。


ここまではリスナー側の話だがステージに立つとまた話が変わる。
観客に手拍子をしてもらうと気持ちが良い。手拍子でなくても同調的な行動をとってもらうと、ライブそもそもの高揚感もあいまって、自分たちを中心に生み出される大きなエネルギーを感じる。はっきり言ってこれはやみつきになる。煽りたくなるのも当然に思えてくる。


…とまで書いて何が言いたいのかよくわからなくなった。。