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関心を持てる事柄について

選挙での「白票」を「社会を変える力がある」と主張していた団体について、福沢諭吉的な観点から思ったこと

選挙での「白票」を「社会を変える力がある」とミスリードする謎の集団「日本未来ネットワーク」のサイトが突如出現 | BUZZAP!(バザップ!) - http://goo.gl/Fx820u
 
こういうのに飛びつく人間が周囲にいたので、なんだかなぁ…と思っていた。
思っているだけだったので、諭吉の言葉などを使って表現してみた。
 
政治に関心の無い人間の一例として、"コンディショナル・グッド-条件付き善-"、つまり絶対的な価値判断でなくて状況によって制約された善悪というものを理解していない。かんたんに言えば相対的な価値判断ができない。
 
価値判断ではたびたび、ベストな選択ではなくベターな選択を強いられる。また、政治的な判断に代表されるように、「悪さ加減」が価値判断の根拠となることもある。これは状況認識の話だが、悪いものばかり並べてみるのは精神的に苦痛、という精神衛生にも関わってくる。こうした状況に手っ取り早い結論を求めるようなひ弱な精神は耐えられない。だから判断を投げ出す。
 
投げ出すだけならまだ良いのだが、投げ出す行為にあたかも主体性があるかのように振る舞うタイプの人間もいる。これは独立ではなく単なる機会主義であり、やはり"惑溺"の一種なのである。

この"惑溺"こそ福沢が激しく批判した状況認識・判断の誤りであるからこそ、絶対にブッ飛ばす必要があるのでムカついてたとわかった。