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関心を持てる事柄について

柿喰う客『天邪鬼』@本多劇場 観劇

9/19 14:00の回を見た。これまで見た柿喰う客の公演の中で1,2を争うぐらい良かった。

柿喰う客『天邪鬼』

あらすじ

子どもたちの虚構が現実と化す世界の物語。 以下、公式サイトから。

よく学び、よく遊び、よく殺せ。今、壮大な“戦争ごっこ”が始まる。

荒廃した世界、混沌とした時代の中で、無邪気に仲良く“戦争ごっこ”に熱狂するこどもたち。 両手を拳銃に見立て、互いの急所を撃ち合ううちに、やがて指先から虚構の弾丸を放つようになる。 イマジネーションが生み出したその弾丸は、ホンモノの人間を撃ち殺し、戦車を破壊し、戦闘機を落とす。 大人たちは、こどもたちのイマジネーションを操る能力に注目し、能力開発の為に新たな教育システムを採用する。 その為に採用されたのが“演劇”。今やすべての教育機関で、こどもたちは強制的に演劇を学ぶ。ホンモノの“戦争ごっこ”の為に。

虚構への態度

観劇後にまず考えさせられたのは、柿喰う客という劇団とその代表・中屋敷法仁氏の虚構物語に対する態度だ。

繰り返される劇中劇と、それらに対する様々な角度からの台詞がその態度の節々を語っていたかのように見える。 所詮”ごっこ”だ、お前は"桃太郎"じゃないだろう、お芝居はすべて嘘… でもその嘘が、虚構が現実に力を及ぼすことになったら?という思考実験は、ストレートに受け取るならば、「虚構だって現実に力を及ぼしうるんだ!」という、物語の作り手サイドならではの自己肯定にも見える。

舞台上で起きていることはすべて創作・虚構だと誰もがわかりきっていて、その了解の上に成り立つのが演劇であり、だからこそ縛られることなく物語を無限に展開していける。しかし、閉幕の後にすべてが無くなるわけでは無く、演者や観客に何かを残すことはあるしそれが目的でもある。だからこそ演劇は素晴らしいよね、と言いたくもなる。

でもそうした予定調和で終わらせないのが柿喰う客。 ここ(舞台上)で起きてることはすべて作り話だし、90分経てばみな舞台から消える、虚構が力を持つ世界なんて無い、と舞台上で言い切ってしまう。

いったいどっちに本心があるのか、終幕後でもわからない。 この終わらない謎かけこそがタイトルの天邪鬼だし、彼ら自身を指すのに最適な言葉だと思う。

演劇にせよ小説にせよこうした余地、余韻を残すものが名作の条件だよなあ、と改めて思った。

アフタートークについて

定番のアフタートークも面白かった。印象的だったことが2点。

  • 劇中で打たれるフリをするシーンのある役者が、演じているうちに「打たれてない肩が本当に痛くなってきた」と言っていた。言霊が本当にあるかも〜みたいな話で、これまた物語が現実を侵食するようなエピソードで面白かった。

  • 主演の玉置玲央氏がアフタートークの時に隣の席に座ってきて驚いた。近目で見るとすごいイケメンで華があった。中屋敷氏の話を聞きながら大きくリアクションとってたのと、トーク終了後に去っていく身のこなしが恐ろしく素早くてびびった。

インタビュー

代表・中屋敷法仁

www.cinra.net

主演・玉置玲央

enterstage.jp